”テクニックに走ってはいけない”
昔からよく聞く言葉だ。
最近は、そのことをよく理解出来ている。
少し前まで、大学を卒業して以降、ほぼ絵を描かない毎日を送っていた。
どれぐらいだろう。
・Photoshopさえいじってない様な時期が会社に入るまでと考えると、多分3年ほど。
・そこから筆を握ったりするまで、さらに一年半。
だいたい4年半、絵を描いていなかった様だ。
当然、そのブランク明けの絵はひどいもんなんだけど、それを描く前から少しづつ線画の落書き程度はリハビリ的(←結果的に考えて)にはじめていて、その線画の感じは何か感触が良かったから、今度はその感じのままに厚みを増そうとして描いた。
で、やってみた感想としては、もう本当にある意味ひどいもので、絵画的知識やテクニックはおぼろげに残っている程度で
「本当にこれは専門教育を受けた人間の絵か?」という様なヘタさだった。
と同時にそれは自分の知っている自分の絵よりもすごくピュアなものに戻っていた。
テクニックも絵画的な知識もかなり薄れていたので、ただただ、伝えたい雰囲気をがむしゃらに表現しようと筆を重ねていた。そこにはテクニック的なものはない。ただ、何か伝わるものが出来ていた様に思う。
その感覚は久しぶりで、学生時代、絵ばかりを描いていた時期に抱いていた本当の自分の絵が戻った様な気がした。
学生の頃は”何かをつたえる”というよりは「”表面的に”見た事ないものをつくる」ということだけを追い求めてしまっていた。
伝えたい奇妙な世界観などはあるが、それを表現出来る力を身につけたかったというのが、鍛錬の本来の目的だったはずが、
集団の”表面的な差異の競争”の中で、価値観が暴走してしまった。
テクニックが主役になる事は、それは実験ショーのようなもの。
もちろん価値が無い訳ではないし、魅力が無い訳でもない。
でもそれは表現者というより、開発者。
表現すべき”対象”、それに必要な”メッセージ”、”雰囲気”。
これがなんなのかを基本に考えて表現していきたい。