photos by Michael Fred.

2.08.0021

これがウェブだとしたら

そういう視点で、何を見るにしても可能性を見てみる。
それはにわかには信じられないかもしれないけど、なにかがどうにかすればそれはウェブでも起こりえる事。
今にでも。

でもウェブが先に起こすこともある事も忘れずに。

2.07.0021

テクニックについて

”テクニックに走ってはいけない”
昔からよく聞く言葉だ。

最近は、そのことをよく理解出来ている。

少し前まで、大学を卒業して以降、ほぼ絵を描かない毎日を送っていた。
どれぐらいだろう。
・Photoshopさえいじってない様な時期が会社に入るまでと考えると、多分3年ほど。
・そこから筆を握ったりするまで、さらに一年半。
だいたい4年半、絵を描いていなかった様だ。

当然、そのブランク明けの絵はひどいもんなんだけど、それを描く前から少しづつ線画の落書き程度はリハビリ的(←結果的に考えて)にはじめていて、その線画の感じは何か感触が良かったから、今度はその感じのままに厚みを増そうとして描いた。
で、やってみた感想としては、もう本当にある意味ひどいもので、絵画的知識やテクニックはおぼろげに残っている程度で
「本当にこれは専門教育を受けた人間の絵か?」という様なヘタさだった。
と同時にそれは自分の知っている自分の絵よりもすごくピュアなものに戻っていた。
テクニックも絵画的な知識もかなり薄れていたので、ただただ、伝えたい雰囲気をがむしゃらに表現しようと筆を重ねていた。そこにはテクニック的なものはない。ただ、何か伝わるものが出来ていた様に思う。

その感覚は久しぶりで、学生時代、絵ばかりを描いていた時期に抱いていた本当の自分の絵が戻った様な気がした。

学生の頃は”何かをつたえる”というよりは「”表面的に”見た事ないものをつくる」ということだけを追い求めてしまっていた。
伝えたい奇妙な世界観などはあるが、それを表現出来る力を身につけたかったというのが、鍛錬の本来の目的だったはずが、
集団の”表面的な差異の競争”の中で、価値観が暴走してしまった。

テクニックが主役になる事は、それは実験ショーのようなもの。
もちろん価値が無い訳ではないし、魅力が無い訳でもない。
でもそれは表現者というより、開発者。

表現すべき”対象”、それに必要な”メッセージ”、”雰囲気”。
これがなんなのかを基本に考えて表現していきたい。

2.03.0021

考えのまとめ。其の1

「再確認」
自分がやりたい事は結局なんなのか。
今ここにいるのは、自分の意思だけで辿り着いているわけでは無い。
誰しもがそうだろうけれど。

結局なにを達成する事が自分の人生にとって、自分の価値観を満たすことになるのか。
”世界的に、歴史的に見て明らかに他に無いものを作る。”
これは確かにあるかもしれない。
ふむ。これはもしかして”天下無双”を追い求める武蔵に似た考えかもしれない。
かれは天下無双に行き着いて、そこから先何を追い求めていくだろう。

”人の心にどれだけ深く届くものをつくれるか。”
これを追い求める人生の方が価値があるのではないか。

「広告」
自分は今までウェブ業界という(歴史的にはまだまだ黎明期/初期という未発達ではあるけれど)広告業界に含まれるところに身を置いていた。
今、そこから離れ、どこへ向かうつもりなのか。
広告業界は斜陽産業と化しているが、完全に絶滅するわけではないだろう。
積極的な広告は難しいかもしれないけど、”対象の魅力を増してあげられるようなスタンス”は今後も残って行くはずじゃないかと考えている。パッケージとか対象の側にあるデザインや物事はこれからも魅力的である事に価値はありつづけるだろう。

出来ることなら、そんなスタンスでウェブサイトを作って行く事が出来たら良いのではないかとの考えもあり以前の場所を離れた。

だが実際そうしたものは単価が低いのが現実。どんなに出してもらっても1サイト30万と言ったところじゃないだろうか。そのお客さんと向き合ってやれる規模としては。
だとしたら、それは1月で1つ作れば1人ならどうにか食べて行けるレベルだろう。
ただ、実際に1月に1つというのは相当に厳しい(クオリティ/作り込み的に)。
さらに様々な要素を考えるとミニマムで3人必要だ。
そう考えると一人頭10万円。一月に欲しい金額分制作しないと行けないが、仮に50万必要だとしたら、1月に5つのサイトを作らなければならない。1週間で1つ。5日で1つ。大抵、ページ数が5ページ6ページ位ある事を考えると、1日に1ページ以上完成させて行かなければならない。単純に割っていっただけで諦めるのは賢くない気がするが、相当なノルマである事は間違いない。

はてさて。

reader

自己紹介

ラベル